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長い感想

100文字では足りなかった時に

ちょっと誤解されてるぐらい、タモリさんは気にもしないだろうけれど

感想いろいろ

ブコメの続き。

ヨルタモリ、面白いよね。
日曜の夜は家事やらサッカーやら飲み会の名残やらで、だいたいがクッタクタなので、録画してひっそり、平日の空いている時に楽しんでいる。
タモリが宜しいのはもちろんだが、宮沢りえちゃんがすっかり良い感じの湯加減になっているのがよい。私たち色々あったけど(見た目やキャリアには天と地ほどの差があるものの同世代で謎の親近感がある)、りえちゃんが今いるそこらへん、なんだか良い湯加減みたいでいいね、という感じのまったりとした魅力である。

ヨルタモリに出てるのを見て魅力再発見ということも割とあって、葉加瀬太郎のことをちゃんと認識できるようになったしあまつさえちょっと好きにすらなった。それまでは「もじゃもじゃ」フォルダの中に、佐藤蛾次郎とか脳芸人の茂木なんとかさんとかといっしょに放りこんでいたのに。

 

で、 はてなブックマーク - 心に響くタモリの名言ランキング 1位「友達なんかいなくていいんだよ」:哲学ニュースnwk このブコメの続き。

「友達なんていなくていい」という話が出てきた会のヨルタモリ、ちょっと前の回なのだが、何となく、消しがたくて取っておいてあった。ちょっと捨て置けない魅力的なお話が満載だったので。

■トーストにバターを塗る、朝のカサついた音が嫌い
トーストにバターを塗るカサついた音は、夫婦間がさめきった音の象徴で嫌いと主張するタモリ(扮する一関のジャズ喫茶のマスター、吉原さん)。そんな音聞いたことがないと草彅くんが突っ込むと、上手く行っている家庭ではその音は聞こえない、その音が聞こえるということは冷え切った家族関係だという持論を展開。
たまごかけご飯の生たまごをかき混ぜる音は、リズミカルだからオッケーだし、そもそも和食はオッケーらしい。意味分からない笑。一方で、ゆでたまごを剥いてるときに落ちるカラの音、コーンフレークを皿にあける音も、無念さを感じてダメらしい。無念か。分かるような気がするところが恐い。

■ジャズか、ジャズじゃないかの話
「ジャズな人って何かというと、向上心がない人」
向上心のある人は「今日が明日のためにある人」ジャズな人はそうじゃなくて、今日は今日のためにある。向上心すなわち邪心である、と喝破するタモリさん。
なるほど。明日のために何か(努力とかそういうもの)を貯金するような人生は、確かにジャズじゃないと思う。貯金するジャズマンなんて、ちょっと想像できない。し、もし貯金をしてたとしてもその事実知りたくなかったわねという感じである。

■夢があるようじゃ人間おわり
夢があるようじゃ人間終わりだといいだすタモリさんに、なんと草彅くんが乗っかってくる。国民的アイドルなのに。
夢に向かって頑張ろうということを美徳にしているのが理解できない、じゃあ夢が叶っちゃったらどうすんの?って話だと言う草彅くんの、SMAPならではの洞察というか、草彅くんならではの闇というか。
夢のためだけにがんばってそれだけのために生きるなんて、という草彅くんと、夢が達成されるまでの期間は全く意味がないつまんない世界だ、それが向上心がある人の生き方、悲劇的な生き方だ、とカブせてくるタモリさんが、なんだかすごくすごい。
なんかこう、ジャズな生き方って酔拳みたいな感じもするな。
さらに畳みかけるように、超有名タブラ奏者ユザーンさんに向かって「ユザーンさんなんかが演奏するのは、夢だったからじゃない。好きでやっててこうなってるだけの話で」とフると、ユザーンさんも「いつかどうなりたいと思ってやってたことはあんまりないですね」と。タモリが更に「好きでこれおもしろいなおもしろいなってやってた人たちで、その人たちが夢を持ってやってたかっていうとそうじゃないよね」と応える。これ、このやりとり自体がすでにすごくジャズぽい。会話のインプロヴィゼーション

■今の教育がおかしい「友達を持て」って。友達なんていなくたって生きていける
 ここが本題なので書き起こしておこう。
この言葉に、うれしそうに、にやりにやりとうなずく草彅くん。
りえ「まあねー、わたしでも(友達がいないと)生きていけないわ、一人では」
タモ「そりゃ自然にできるさ」
草彅「だから、自分から敢えて、たくさん(友達)つくろうとか、
   そういうのはあれ(ダメ、とか違う、とかそういう感じ)なんじゃないですか」
りえ「あー、たくさんは要らないね」
能町「ともだち100人できるかなとか歌わせるから良くないんですね」
タモ「あの歌が一番良くないんだよ。
   小学校に入ったらともだち100人できるかなって何だあれ!
   なんかシール集めてるみたいなもんだろアレ」
能町「そうですね、コレクションですものね」
草彅「そういうのは本当の友達じゃないんですよね」
タモ「友達じゃない、『友達だよね!友達だよね!』って言ってるだけ
   そんなのいっくらでもできる、1000人でもすぐだ。
   俺なんて10万人ぐらいいる」
草彅「すぐ100人超えちゃう」
タモ「すぐ100人超えちゃうよ」
笑っていいともをやってた頃のタモリさんは、週5回×50週=1年間で250人の友達ができてた勘定である。wikipediaなどによると32年間。まぁ全ての年に50週やってたわけでもなさそうだし同じ人が何回も出てたからアレだけど、単純計算で8000人の友達の輪だったわけで、妙に説得力があるのも当然である。

■「愛」の扱いがおかしい
奥様に愛してるって言わないんですか?と聞かれるタモリ。愛は、それが達成されなくなったら人を殺してしまうようなもの。きれいなだけのものじゃない。恋愛は「愛」ではなく「恋」。「愛」まで行くと何ですか?とりえちゃんに聞かれたタモリの答えが、TV地上波だとはちょっと思えないすごいもの。
「愛ってのは、神しか言えないことじゃないの」

草彅くんが、愛って全然分からないと平気で言った後にタモリさんが言う「旦那のココがキライと言うけれど、理由があって嫌いになってるわけじゃない、キライだから理由が色々見つかってくるだけのこと。見方によって変わるのが「恋」」という言葉が中々の含蓄である。

その他、捨て置けないこんな感じのちょっとしたレトリック

  • 「俺だって用事の積み重ねで生きてるんだ。人間みんな用事の積み重ねで生きてるんだ
  • 「愛」と「夢」と「友達」を言う奴は俺は信用しない

だったり、パンツを穿く位置を間違えた話だの旅行の時にパンツ持ってくる数が難しいだの、何だか割とくだらない話が合間合間に挟まる大変楽しい回で、見直して、録画消しそびれてるのも納得である。

 

要するに、「友達はいなくても良い」んじゃなくて、「あたしたち友達よね!」って言うような類の人間関係はコレクションであって友達ではないというような、いやコレクションも世の中では大切なことなんだろうけど、タモリさんや草彅くんやらの中ではそういうのはあまり「大切なもの」になっていないようである。そして私もそっちのタイプなので、ただただ共感するのみなのだ。

私は本当に、両手で余裕で足りるぐらいしか友人はいないし、それらの友達としょっちゅう連絡を取り合ってるわけですらないし、しょっちゅう秘密の打ち明けっこしてるなんてこともまったくないのだが、大事な友達なんだよなぁ。そしてどうやって友達になったか、もうほとんど覚えていないよ。

 

そういえば、ヨルタモリについてもう一つ親近感を持ってるのは、ミニコーナー「始点・終点」である。私も実は密かに、電車の終点を見かけるとつい写真に撮るくせがある。意識してコレクションしだしたのはこの2年ぐらいなんだけど、それより前から、思えば携帯電話で写真を撮れるようになってぐらいから、気が付くと撮っている。あれは何ていうか、じんわりと意味が浮かんでくるような不思議な被写体である。ロマンがあるような、よく考えたらぜんぜんないんだけどw
自慢のコレクションは、徳島ヴォルティスのアウェイゲームを見に行った時の鳴門駅の終点と、東日本大震災の影響で仙石線が不通だった地点、陸前小野駅の先にあった仮終点である。あれは何ともいえないものだったなぁ。