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長い感想

100文字では足りなかった時に

恋愛にも結婚にも出産にも、お上には立ち入ってもらいたくない系

長すぎるブクマ的なもの

www.asahi.com

 

内閣府も、ずいぶん無粋な調査をするもんだなーと思って記事を眺めたのだが、この調査、確か前にも見たことがある。

調査・研究 - 少子化対策 - 内閣府
ここに、少子化対策関連の調査資料が一覧になってたのだが、前回は平成22年だったのね。一応5年毎調査ということなのだろうか。この調査の前身?と言えそうなものは、平成19年にも行われている様子だけど…どっち読んでもなんだか辛気臭い内容かなーという感じもする。
そもそも、元の調査研究の主旨や方向性も「なんだかなー」でしかないので、朝日新聞を責めても仕方がないのだが、朝日の見出しもどうなのこれ。そこを切り取るぅ?わーセンスないわぁという感じである。

これは私個人の勝手定義なのだが、嬉しくて苦しくて辛くて幸せで、そんなこんなで日常生活に支障をきたすこともあるほどのもの以外は、私は恋愛とは呼んでないのだけれど、私の勝手定義に基づいてこの調査結果を鵜呑みにすると、逆に半数近くの人々は、そういう恋愛をしているということなのかなと考えるとちょっとうらやましいと思ったりする。フランス人になったような気持ちというか。

 

ブコメったのは以下の内容。
30年ぐらい続いている少子化傾向の理由って、恋愛=結婚、という、昭和後期に突如現れた謎の固定観念がもたらしてると思っているのだけれど。ひと世代前って、恋愛≠結婚って人も少なくなかったらしいのにね。

結婚をして子供を産んで育てる、ということについて、ある時期からその「ルート」が限定されてったような感覚がある。大学(や短大)に行ってサークルなんかで出会って、湘南や軽井沢あたりをドライブしながら愛を育んで、サークル仲間あたりとちょっとしたすったもんだがあって、それでも二人はゴールインしました。めでたしめでたし。みたいなのが「正統」となってしまった時期というか。
あれかなぁ。勝手に思いついたまま書けば、殿下の軽井沢テニスデートあたりがこの物語の原型になってたりするんだろうか。いや本当に思いつきですけど。あとは若大将とか。若大将はむしろ殿下の軽井沢の恋の廉価版という感じもするが。

1950~60年代に結婚した人って、お見合いや紹介で結婚した人、そこそこ多いんじゃないかと思う。ある時期に「そういう話」が「どこからか」持ち上がって、何回か会って話してるうちにいつの間にか結婚する運びになるという「社会的な空気とそれに基づいた仕組み」。恋愛より、親戚に就職の世話をされるような感じに近いというか。そして、60年代式「結婚に至る空気」は、地縁血縁によってその「仕組み」が維持されていたのだろうと想像する。

 

そういう「結婚に至る社会的な空気と仕組み」が、社会の豊かさと反比例して薄まる地縁血縁の代わりに、妙に具体的にマニュアル化されだしたのが80年代ぐらい*1からなのかなーと。

 

問題なのは、マニュアル化された「結婚ルート」って、そこそこお金がないと難しいところと、恋愛って、誰でも必ずできるようなもんでもないってところだ。
恋愛って、一種の才能というか、スキルが要ると思う。私は余りスキルが高くないので、いったん恋愛に突入すると、色んなその他のものが「あと送り」になりがちで、大変に困る。できれば疾風怒濤な恋愛状態にはなりたくない。とはいえあれは天災のようなもので、こちらが万全の準備をしていても、出会う時には出会う。

 

いや正直、少子化対策を、そんな天災のような「恋愛」なんかに頼ってちゃいつまでも何も改善されないと思うなぁ。

 

おまけ。

調査結果は、それなりには面白いので暇なら読んでもいいかもしれませんぬ、程度のもんだが、個人的に面白かったのは、結婚する意義の上位に「共に生活を支え合う」というものが入るのに、結婚できない理由の一番が「経済的に無理」という矛盾である。ともに半数近くの数を集めている。
人間とはこのように矛盾を抱えて生きている。

経済的な問題が一番の理由で結婚できないのなら、結婚してしまえば支え合えるはずなのに、経済的な問題でそもそも結婚ができない。と、調査結果を馬鹿素直に読むとそう読める。逆ウロボロス的な、ブラックホール的な状況になっている。

現実は、ダブルインカムの方が色々捗るわけだけど、結婚に至る道筋の中に「経済的な問題(=収入が少ない男性はいや!的な典型的すぎるアレ)が、ぬらりと横たわっていて、多くの若い男性をひねくれさせたり、少数派の女性に濡れ衣を着せたり、非モテな人たちが荒ぶったりしているのだろうと想像している。

まぁ、女性は子を産むことを考えると、どうしても蓄財的な方向には敏感にはなるだろう。古い友人に、学生時代からバリキャリ志向で職場復帰する気まんまんだったのに、産後にヘルニアを発症して、仕事復帰どころか一人では子を育てることも難しくなってしまった女性がいるので、その不安は痛いほど分かる。
子供産んだら母と子の「かかり」は全部お上が持ちますよ!ぐらい行けば、もっと積極的に女は子を産むのか、というと、そこまで単純でもないような気もするし。

 

要するに、個人的な「人生の分岐点」と、少子化対策は、きっちりぱっきり分けて考えてほしいですよね、という話。

 

逆に言えば、私は「子供を産んでる女は少子化に歯止めをかける貢献者である」という意味の言説が、あんまり好きじゃない。
少子化を食い止めるために恋愛するわけでもないのと全く同様に、少子化を食い止めるために産んでるわけじゃないと思うので。

それに、あの手の物言いは、「子を産んでる人、育ててる人だけが貢献者だ」という風に変節しやすいのがあまり良くない。子を産んでいない人も、子を産んで大変そうな人に心をかけられるようにするには、子を育てる人も育ててない人も等しく貢献者であるように仕向ける方が得策だとおもいますですよ。

*1:なんかね、70年代は「同棲時代」って感じなので 笑