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長い感想

100文字では足りなかった時に

あまり好きではなかった叔母に本をプレゼントされるのが嫌だったなって思い出した

長すぎるブクマ的なもの 家族のこと

こちらのブログを読んで共感8割だったのだが、残り2割のトラウマの箱が開いてしまい、ぞわっと色々思い出した。この本は幼稚園児の時に、題名通りの「あまり好きではなかった叔母」からプレゼントされた。本が大好きな子供ではあったので、どんなものでも手元にあれば擦り切れるほどには読む。私も恐竜のページはとても好きだった。ちなみに上野の科学博物館も大好きです。ぞくぞくするよね。

d.hatena.ne.jp

で、ブコメにも記したのだが、最後の方のページにある『いますぎていく1秒1秒が、はてしない時のくさりの、新しいわです』の挿絵がもうたまらなく怖いのだ。

ばかものの私は、当然だけど子供の頃はもっとばかもので、おまけに色々むき出しの子供ならではの感受性によって、「時間の長さ」とか「永遠性」とか、大人になれば、小学生にも書ける感じでさらっと固定化できるような漠然とした「時間の空間的広さへの畏れ」のようなものを勝手に受け取ってしまい「あの黄色い表紙の絵本=おそろしいなにかが書いてある」という刷り込みができてしまった。恥ずかしい告白をすると、この絵本を読んでからおねしょを何度もして小学校上がってしばらくするまで直らなかった。まぁこの辺は、人間の成長過程にちょうど合致しちゃったようなとこでもあるんだろうけど。
したがって、この絵本は擦り切れるまで開いた本ではあるけど、恐竜のページぐらいまでしかちゃんとは覚えていない。こちらのブログを読んで、そんな言葉が添えられていたページでしたかそうですか、という感じである。

 

要するに、私の成長に比べて、刺激が強すぎたんだろうなーと今では思う。だから本はぜんぜん悪くない。むしろ、それだけの影響を、ばかものの幼児に与えられるようなすごい本なので、新装版が出るならぜひ読んでみたい。怖いけど。怖いなー怖いよ。

 

すごい本というのは、時に刺激が強すぎてトラウマになりうるほどすごい、という話。

 

それで、ここから先は、「好きじゃない人からのプレゼント」は困る、という話。

私にせいめいのれきしをくれた「あまり好きではなかった叔母」は、母の一番下の妹で、母とは7、8歳年が離れていた。私が物心ついた頃にはもう結婚して子供もいたはずなのだが、「幼稚園の先生をやってるおばちゃん」という認識だった。

なぜ「幼稚園の先生をやってるおばちゃん」認識だったかというと、本当に独身時代には幼稚園の先生をやっていたから、というのもあるが、盆暮れ正月なんかの親戚の集まりで、総勢7人の子供たち(いとこ同士)を遊ばせ仕切るのが、この「幼稚園の先生をやってるおばちゃん」だったからだと思う。

いとこたちを集めてリトミックごっこみたいなのをやったり、教育っぽい映画を見に連れて行ってくれたり、「良い絵本」や「良いおもちゃ」を与えてくれたりした。
でも私はそういうのあんま好きじゃなかったんだよね。

 

リトミックごっこよりは、年上の従兄に最新トレンドの鬼ごっこ(缶けりとかどろけいとか)を教えてもらって一緒にやりたかったし、「良い木のおもちゃ」をあてがわれるより、祖父母の家の屋根裏部屋に秘密基地を作る方が楽しかったし1Fのリビングに集まって麻雀やってる大人たちが一喜一憂してるのを見る方が面白かった。
お気に入りの本ならすでに自宅から持参済だし、新しいお気に入りは明日おばあちゃんと一緒に八重洲ブック(センター)に行って探すから別に要らないのに、とかそういう割と酷いことを考えていた。

要するに、私は大変わがままで小生意気な幼児であり、少し押し付けがましいところのある叔母であった。

 

叔母からもらった本は、もうひとつ、「いやいやえん」があった。これも貰ったのは幼稚園の時だったのだが、絵が中心の絵本ではもう物足りないし、このぐらいなら自分ひとりで読めるかな、と思ってたけど読み聞かせしてくれた。これは良い本だから読みなさいと私にくれたものを、取り上げてさあおばさんが読んであげるからね、と言われたかたちで、私には「いやいやえん、なんかめんどうくせえ」という気持ちが残った。

なんだかなーと思いながら読み聞かせられた感想は、(いい年した保育園児のくせになんてやな子なんだろう)である。主人公の男の子のがき大将な感じがどうもダメだったんですよ。がき大将タイプの子供とはどうも馬がいまいち合わなかったのでしょうがない*1。良い本なのはよく分かってるんですけど。

 

本のプレゼントは難しい。特に子供に渡す時は、押し付けになるのは良くないんじゃないかって、実体験を思い返すとしみじみ思う。

せいめいのれきしだって、私の心の成長の準備が整った時期に自発的に出会っていれば、怖くなかっただろうに、好きになってただろうになって思うから。

 

そももそ、本に興味を持ってくれなくてもいいじゃないとも思う。そりゃ本好きになった方が人生は楽しいに決まってるけど、好きじゃない子に押し付けてもしょうがない。
しょっちゅう人に本をくれようとする*2「あまり好きではなかった叔母」の子供二人は、結局、本が好きな子には育たなかった。なんか昔話の因果応報フォーマットにハマりすぎでおかしなことになってるけど。

 

私の両親は、子供の早期教育みたいなものを熱心には考えない人たちで、私と兄はかなり放任に育てられた。好き勝手な野育ちである。本が欲しいといえば買ってくれたが、私の部屋の本棚に「親が選んだ本」はなかった。やりたいと言ったことはやらせてくれたり、あるいは月謝が高いから駄目って言われたりはしたけど、誘導されるようなことはなかった。

それで、叔母の育てた2人の息子と私たち兄弟のどちらの「教育の結果」が出たか*3といえば、叔母の子供は二人とも割と良い大学には行ったのに仕事はしていない。

子供の頃は何も考えずに会えば一緒にきゃっきゃ言いながら秘密基地を一緒に作っていた二人の従弟は、とても良い子ではあったけれど、成長するにつれて、何ていうか生きる力が薄いというかつるっとしてるというか、私はいつもちょっと違和感を感じながら接していた。小学校高学年になればそれぞれの友達付き合いやら塾や習い事やらでいとこ同士が遊ぶことも少なくなるし、そのまま、ちょっとした違和感を忘れて大人になった。

仕事や肩書だけで人間を判断するわけではないけれど、「情操教育」も「子供に良いものを」も特に斟酌されずに野育ちだった私たち兄弟は、結局それぞれが特技を得て、特技でメシを食っていたりする*4

一方、叔母は、子供二人を中学受験させて、行きたい大学も「一緒に考えてあげなくちゃ」、就職活動も「一番良い選択肢を選べるように」といった様子だったが、彼女の息子は二人とも、自分の力で生きる方法を見つけることができていない。おかげさまで私は幼児教育とか早期教育とかを信用していない。

*1:今でも、押しの強いリーダーシップのある人情家、みたいな人は苦手である。ジャイアンも苦手である。劇場版であっても。

*2:いやいやえん以降は「自分で好きな本が買いたいからいいの!」って言って断った。本当に嫌なやつだ私は

*3:これすごく嫌な言い方なのは自覚しています

*4:一応大学も、いとこたちよりは良いところに行ったけどまぁどうでもいい