読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

長い感想

100文字では足りなかった時に

人を、尊重し信じてただ待つ、というのは、割とシンドイことではあるが

長すぎるブクマ的なもの

なんかね、賛否両論なのは理解はできるけど、元サボり魔&現在もかなりエスケープ体質の私は、このご意見に対する否定的なブコメなどを読んでいるうちに、息がつまって窒息しそうになったですよ。

 

suminotiger.hatenadiary.jp

 

次の記事(「図書館に居る子を見逃せない」と思った方へ - スズコ、考える。)のブコメを見ても反対意見の人も結構いて、まぁ宗教対立みたいなもんではあるにせよ、野良猫体質の子供や、逃げる勇気の「一線」上をフラフラとさ迷う子供にとっては、つくづく受難な時代だなぁと思う。
やっぱり一つには、子供の頭数が少ないせいで目立つってのはあるんだろうね。私は子供が掃いて捨てるほどいたBB2世代なので、上手いこと逃げおおせたのかもしれない。

 

賛否がある理由のひとつには、図書館に逃げ込む子供が、どういう状況なのか、人によってイメージがかなり違うからだろうな、という気がする。

 

1 いじめの渦中に居る子供

私が想像する限りでは、深刻ないじめの渦中にいる子供は「図書館に逃げ込む」以前に「学校から外に出てもいいんだ」という発想にまで至れないんじゃないかと思う。
深刻にいじめられたことがないので自信はないけど、「逃げちゃえ」と大胆に考えることができる子はいじめのターゲットになりにくそうである。逆に言えば、逃げ込む場所を見つける=現実と戦う第一歩を見つけられた、と考えることもできる。

なので、図書館でそういう子供を見つけても、まさに「見守っていればオッケー」だと思う。どうしようもなくなった学校から外に出る勇気がある子は、そのうち自分できちんと道を見つけるなりSOSを出すなりできるだろう潜在能力がある。

更に言えば、子供は、子供だけど人間なので、子供サイズではあっても自尊心がある。それに、学校をサボる=悪であることは当然認識している。
知らない大人や、ましてや近所の同じ学校に通ってる子供の親御さんあたりに「あらどうしたの?」なんて言われた日にゃ、びくびくっと背中を丸めてひっかいて逃げ出すか、フリーズするかあたりが関の山だろう。
野生動物にいきなり触ってはいけません。糞暑いジャングルで迷彩服を着たままずっと観察し続け悪い密猟者が近づいてきたら追い払い続ける、か、ムツゴロウさんスタイルで「噛まれたって本望」で付き合うか、どちらかぐらいしか「周りの大人」ができることってないだろう。

それこそ大人は「その(道を見つけたりSOSを出した)瞬間」まで、野生動物ドキュメンタリーを撮るがごとくじとーっと観察日記でも付けながら我慢するのが良いように思う。そういう意味では図書館はうってつけの場所だと思うよ。マサイマラ国立保護区的な。

 

むしろもっと心配すべきは「図書館に逃げ込むこともできない子供」だろう。彼らは本当に「見えない」。
言っちゃなんだけどさ、我が子ではない子供の行動なんて、「図書館でサボってやがるな」なんて可視化できる状態になってるなら、良い方向にしろ悪い方向にしろ、もう手出しする状態でもないレベルじゃないかなぁ。過去、いじめられて自ら死んでしまった子供たちの周りにいた人たちは口をそろえて「分からなかった」「気付かなかった」「気づいてはいたけど…」って言うでしょ。友人知人レベルの関係性があってもそんな有様なのに、たまたま図書館を利用したら見かけた子供について何か作用できる力があるなんて、ちょっとスイートな夢を見すぎていると思う。

 

2 変わり者、もしくは愉快犯

子供の頃の私がまさにそうで、クラスに積極的になじめそうにないな、とか、勉強難しいんじゃーいやなんじゃー…なんて時には「…行きたくない、サボっちゃえ!」と思えるタイプだった。変な奴だと遠巻きにされてたんだろうが、いじめられたという認識はなかったし、もっと言えば遠巻きにされたところでむしろ楽、みたいに思ってたし、もっともっと言えば、仲の良い友達が一人二人できてしまえばすぐに、学校ちょう楽しい~!ってなるので、ずいぶん繊細さとはかけ離れた生き物で申し訳ない。
こんなもんは、まぁ、不良にならない程度なら放っておけばよい。図書館にサボりにくる子供が不良になる気は、全然しなくないですか?大人の目がある場所なのでかなり安心だと思うけどなぁ。
私は学校の外を出て神保町とか水道橋をうろついてた。子供心に繁華街は怖かったから渋谷や新宿には行けなかった。図書館を選んでいる分にはいたって健全で正常な判断がされていると思う。

 

3 孤立・孤独化しつつある子供

例えば、部屋から出てこない、とか、渋谷の公園通りの裏手あたりに所在無げにいる小学生、とかなら話は別だけれど、引きこもりや放浪するわけでもなく図書館にいるのであれば、やはりあまり「保護としての手助け」は不要なように思う。ただし、いつも図書館に無頼漢がいて子供図書コーナーでオラついてたり、隙あらば誘拐しようとしているような大人がいそうな場合はむしろ図書館や地域全体の治安を問題にしなくてはならないと思うので別の話。

子供が孤立・孤独化しているサインは、いじめと同様に、生半可な関係性の大人が見つけるのは困難で、通りがかりの大人程度には、現実的には無理だと思う。親・保護者の保護責任に問題がある場合なども含め、子供の孤立化問題の一番の難しさは、可視化されにくいことである。

本当にやっかいな問題は「他の大人の目の止まらない」場所、家庭内や学校のクラスの中でひっそりと起こっている。図書館にサボりにくる子供の多くは、おそらく「避難場所を見つけられた」子供である。大人の場合もそうであるように「問題が理解できていて避難もできている」状態なら、解決まではそれほどの距離ではない。

そして、「解決は見えている」とはいえ、実際に子供が自分の力で本当に解決するまで、大人がきちんとした伴走をするためには、やはり専門的なスキルや時間がある方がベターである。公共機関やボランティア、NPOの手が借りられるならそちらの方がよいと思う。
自分ちの子供や家族や家事や仕事やなんやかんやで、よそのおうちの子供にそこまで物理的に時間がかけられる人は多くはないだろうし、不安定な状況の子供に「ときたま都合の良い時だけ何かやさしげなことを言ってくる大人」がいる、というのは、必ずしも良いことだけではないように思う。

 

「ちょっと良いことした大人と、見知らぬ大人に優しい声をかけられた結果、思うところのあった子供」というのは、ある種の理想ではあるが「子供自身の必死さ」を天秤にかけたら確率としてはあまり期待できるレベルではない。
「逃げ場を探して死活問題な子供」に、適切に、フーテンの車虎次郎みたいにさらりと声がかけられるスキルがある、自信がある人、いるだろうか。私は難しいなと感じる。自信ないなぁ。反発している人はさぞ対人スキルがあるんだろう、羨ましい。その能力を活かして、ぜひ全国の小・中学校の周囲や図書館を行脚して「寂しそうな眼をした子供」を片っ端から救って歩けばいいと思う。フーテンの虎次郎というかアンパンマンみたいで格好いい。

 

世の中って割と厄介で、例えば、図書館で場違いな時間に一人でいる子供を見かけて、図書館のスタッフに声掛け(一人で大丈夫そうか気にかけてあげて…)など言おうもんなら、「場違いな子供」の対応責任を図書館スタッフが負わねばならない。
そうなると「ボク、今日はどうしたのかな?おかあさんやおとうさんと一緒かな?」「学校がある日でしょ?」「おうちに電話しようね、電話番号わかる?」「携帯電話、持ってるかな」……
学校や保護者に連絡がつくまでのあいだの子供の顔を想像するとちょっとドキドキしませんか。死刑執行まであと30分。

 

これが渋谷や新宿の路地裏なら分からないでもないけど、図書館だったら、しばらくは「野生の子供の生態観察」したっていいと思うけどな。少なくとも、手助けできるくらいの距離感で仲良くなるには時間がかかるよ。