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長い感想

100文字では足りなかった時に

「まだ知らない」と「もう知っている」の間に

長すぎるブクマ的なもの 家族のこと

昨日から、頑なに娘と風呂に入りたがる人の文章を立て続けに読んで、こりゃ気持ち悪いし困ったねと思っていた。
あんな気持ちの悪い文章は、リンクしたくないのでしませんけども。

 

息子ができても、同じように思う?中学くらいまでは一緒にお風呂に入りた..

年頃の娘と風呂に入る自分を肯定したがる増田たち - はてこはときどき外に出る

このへんが正解だよねと思っていて。
この程度の繊細さは親子間においても考えていける方が良いだろうなー、と思ってたんだけど、ブコメを見ると、どうも、純粋な親子愛を貶められたように感じる人もいるようで、人間ってほんと色んなこと考えて生きているものだなと思う。まぁ性善説的というか、子供を見くびってるよね。

 

で、こちらの匿名ダイアリーを読んで、父と風呂と性的トラウマと色々考えてたこと。

 

当たり前だけど、子供は、お父さん(お母さん)が実は我が子の前以外では「性的に男(または女)」であり得るものである」ということを「まだ知らない」。

一方で、親は「もう知っている」状態である。まぁ当たり前すぎるけども。

 

そして、問題は、子供がいつどうやって「そういうものだ」ということを知るのかは、この段階では誰にも予測できない、ということだ。

「考えすぎじゃね」「親子愛を邪推するほうがエロいんじゃね」派の人たちは、この増田さんのように、性的なものと不幸な出会い方をする、というリスクについてどう考えているだろうか。

 

「うちは(俺は、私は)大丈夫」「人の家の習慣に口出すな」

余所の家の生活習慣に口出しをしているわけで、本当にごもっともなんだけど、一方で、大人になっても子供と日常的に風呂に入って何が悪いと言う人たちは、子供が本当にそれを望んで受け入れているかどうか、ということは考えていないように見える。

 

生まれた時から「父と娘はいつでも一緒に風呂に入る」という生活習慣をしつけられれば、子供は、もし仮に、あまりその生活習慣を快適に感じていなかったとしても文句を言いにくいということは、往々にして起こりうる。

メタブクマにも書いたんですけど、一番最悪のケースを言えば、これ、家庭内の性的虐待と同じ構造だと思う。
子供から見たら「お父さん(お母さん)がそう言うから、そういうもんなのかな…」と消極的に受け入れさせられている、という可能性は、常にゼロではない。

 

もちろん「異性の親子でずっと一緒に風呂に入る」家庭であっても、関根家のように、それを受け入れ円満に家庭が営まれているケースだって、山ほどあると思う*1

でも、リスクは高いんだよね。

 

そして、そのリスクを回避できる能力があるのは、「もう知っている」親だけである。「まだ知らない」子供には回避のしようがないでしょ。

親が先に手を離さないと、「お父さんのおかげで知ってしまった」という、上の増田さんのような不幸な交通事故に合うわけだ。

これ、あと、気になったのは、ちょっと前に「女性のほとんどは痴漢にあったことがある」的な話で盛り上がった時の、「じゃあ男はだまって痴漢冤罪にも甘んじろというのか」という構図に似てるんだよね。

この話題の時、男性の何人かは、女性があらゆる男性に性的に恐怖を感じていたり、こいつ痴漢するんじゃね?という疑いの目で見ているのでは、という怒りを持っていた。
けれど、もちろん多くの女性はそんな風には考えない。そういう風に考えてしまう女性がいるとしたらその女性は恐らく、本人や近しい人が酷い性暴力の被害者だったりした場合だろうと思う。

この誤解が生まれる大きな理由の一つは、男性の性衝動のやっかいさがあるわけで、この風呂の件についても、恐らく男性にとっては、父性を貶められた気がするんじゃないだろうか。でも、そういうことじゃなくて。

 

実際には、異性の我が子と日常的に風呂に入る家庭の多くは、不幸な交通事故に合わずに済むんだと思う。

ただ、それは、親側の努力の結果ではない。単に運が良かった*2とか、子供が絶妙に空気読めるタイプ*3だったり、メンタルが丈夫だったり*4とか、親の努力以外の理由である。

「異性の我が子と風呂に入り続けたい!」という欲望を、子供の了承なしに通した親は、構造的に加害的というか、努力も労力もなしに、常に「サービスされる側」「受益者」の立場に立っていられる。

加害というと「結局、男はみんな性犯罪者だとでも言いたいんだろう」とか言われそうだけど、もちろん、加害者であると言ってるわけじゃなく、要望のベクトルが常に「親←子」方向にしか働かない構造だ、ということだ。

なぜなら、子供が自主的に「そういう生活習慣」を選択したわけじゃないから。

「そういう要望」を持った人から、生まれた時から否応なしに躾けられているから。

 

統計上の数字なんかは、ちゃんとジェンダーとか家庭問題の勉強をしている人にお任せするほかないが、家庭内で起こる親から子に向けられた性暴力は一定数存在するし、子供への性犯罪加害者は親が一番多いという調査結果もあるようである。
そういう「死亡交通事故」みたいなものから、上の増田さんのような「右の上腕骨骨折」程度のもの、そして交通事故に合わず平穏であたたかい家庭を築き続けられた多数の人が居るわけだけど、異性の子と風呂に入り続けたいと願う人は、交通事故に合う確率を意味もなく増やしているという側面はあるのだ。

二番目に現れた、娘と一緒に風呂に入っていた増田さんは、運や偶然や娘さん(と恐らく奥様)の努力によってたまたま交通事故に合わずに済んだ、迂闊なだけの人だと思う。そして、発端の増田さんは、釣りかと思うぐらい性犯罪加害予備軍、一番軽傷だとしても毒親予備軍だと思っている。

異性の親子がいい歳して一緒に風呂に入っても、ぜんぜんおかしくないと感じる場合ってどんなシチュエーションだろうか、と想像してみると、風呂で健全に性教育してるケースだろうと思った。でも、発端の気持ちの悪い二人の増田さんの文章を読む限り、娘には「無性」であることを要求しているんだよね。更におかしいというか、すごく図々しいというか。

 

 

何かあまりまとまってないが。

最後に、自分と父のことを思い返すと、私は小学校上がる前くらいには、父と一緒に風呂に入るのは卒業した。

父「もう一人で入れ」私「えーやだー」

父「今日は一緒に入ってやろうか」私「こないだイヤだって言ったのお父さんじゃーん」

みたいなもぞもぞしたやり取りが何回かあった記憶がある。

さっぱりときっぱりとして、それでいて少し未練という形の愛がある、中々良い「卒風呂」だったと思う。ありがとうお父さん。

 

私は、パートナーからは「お父さんと比べられるとなー」とため息をつかれ、友人知人の娘がいるお父さん軍団から「理想!」「どうやったらこんな風に…!」とため息をつかれるほどの、完成度の高いファザコンである。というより父のことを人として尊敬している。そして娘を溺愛している父だった。

私がなぜ父を尊敬しているかというと、それは父が、私のことを「庇護される娘」ではなく、独立した一人の人間として成長させようとしているのが、理解できたからだ。父と私の間にあるベクトルは、ほとんどの場合「父→私」であったし、それは溺愛の形を取ることもあったが*5、主に「社会と私」「他人と私」の距離を測らせるための教えや訓練であることがほとんどだった。 

もし、溺愛の方向が「いつまでも純粋な娘ちゃんのままでいて欲しい」だったら、多分私はお父さん気持ち悪くて嫌いだったと思う。与えない父、奪う父。そんな父いやだ。

私の父が、いつまでも俺のかわいい娘ちゃんをカゴの中で愛でたいタイプじゃなくて、外の世界で好き勝手に人生を楽しんでいる娘の様子を見て喜ぶタイプで、ほんと良かったよ。

一緒に風呂に入り続けたがるお父さんだったら、私は絶対にファザコンになってなかったなぁ。

*1:というか、芸能人家族のトークを真に受けて良いのかという気もするけど、関根家ならまぁ良い家庭っぽい感じは確かにあるんでその辺はまぁ

*2:子供が性的なことを受け入れる瞬間が、異性の親と風呂に入っている時以外に訪れた場合など

*3:ごく自然に、異性の親と風呂に入ることを避けられる能力があるなど

*4:父が入浴中に勃起したところで気にならなかったなど

*5:性分が照れ屋であったせいか、父の娘溺愛エピソードは、娘を溺愛しているトークを聞かされた第三者を通して私に伝わることが多かったが