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長い感想

100文字では足りなかった時に

コストパフォーマンスとか投資効率とか、その土俵に乗っかっちゃダメなんじゃね?

長すぎるブクマ的なもの

夫婦に子供のことを不躾に聞く人なんて滅びてしまえ、と思いますし、子供がいない人を結局は見下しているかのような発言をする人は、スピード違反のネズミ取りにでもかかってしまえ、と思いますけど。

 

一方で、

子供は人生で一番高い買い物だと思う

コストパフォーマンスで考えちゃうのは、ジャンルが違うというか。フィギュアスケートの採点者席になぜか室伏がいる、ぐらいのジャンル違いだと思います。
なので、『馬鹿に見える』とブコメには記しました。まぁ、割としつこく子供について聞かれてつい使ってしまいたくなった言葉なんだと思いますが。

 

何しろ今の日本は「手厚く子育て出来ることがステイタス」であり、一方で「若い人の労働環境の悪さ」や「将来への(ほぼ確実かそれ以上な悲惨さが約束されている)絶望」の3点セットという、糞みたいな状況だからねぇ…。

なので、むしろ私はこれを描いた人よりも、☆が集まってるこちらのブコメ

『子供作らずに自由で居たいって事は老後は「誰かの子供」の世話になるつもりなんだろ? そりゃ子供持ってる側からしたら叩くよ』

の方が、色々酷いことになってるなーって思いました。何が嫌って、「そりゃ叩くよ」の当然感。なにこれ。何様なの?

 

もちろん、老後を自分できちんと始末して格好よく死ぬことは、ほとんどの人にとっては不可能です。お金のことだけじゃなく、年を取ると、ごく当たり前の「生活する」ことがどんどんできなくなるからです。誰かの世話は必要になります。

ただ、それ「我が子」が世話するの限定なの?*1 我が子や我が子の配偶者が、どのように悲惨に老いるか分からない自分の最後の面倒を見るのが当然だから子供を産むんだろうか。

そんな人、あんまり居ないと思うし、公言するのは「子供はコスパ悪い」と同じぐらい愚かな言葉に見える。

 

介護保険は不備がありまくりの困ったシステムではありますが、一応建て付けとしては「老人が、その時に生きている「まだ元気な老人」と助け合う」というかたちにはなっています。あくまでも建て付け上で上手く行ってはいないけれど「誰かの子供が自分の老後の面倒を見る」しくみではないです。
ちなみに社会保障全般が「そういうもの」です。誰かが誰かの面倒を見るのが大前提なんですよ。なので「誰かの子供の世話になる」のが当たり前なの。だって誰の面倒にもならずに老いて死んでいくことなんて、絶対にできないよ*2

 

とはいえ、今の日本は、その社会保障の前提が実際は機能してないからこその絶望ではあるんですが、少なくとも、現実問題として最期を面倒見る人が我が子である方が色々良いのは承知の上で、子供を産みたいと思う動機として「将来介護してもらう」がある人はいないでしょうし、老後の生活のかかりを子供におんぶにだっこにして当然だと思っているなら、多分21世紀の日本では「毒親」の部類だと思います。願うのだとすれば、もっとまともに機能する社会保障制度であって、「俺の子にお前の老後を押し付けるな」という泥仕合をすることではないですよね。

 

社会保障的に、自分が好き勝手したいために子供は産みたくないと言っている人なんて糞だ」と言うのなら、それは「我が子が介護してくれる」期待よりも、もっとずっと気持ち悪い。
子供を持つか持たないかの選択が、自分自身でできない社会をお望みなのか。そのディストピアは、老人だらけのディストピアと大差ないんじゃないかと私は思うけど。

私も、もちろん少子化の問題は何とかしたいと思うけれど、その動機は、「俺らの老後の年金が」ではなくて、「若い人が子供を産むのをためらうような世の中に、今私たちが生きているのは何しろ切ないじゃないか」というものでありたいです。動機が「俺らの年金どうすんだ」である人が考える策なんて、絶対上手く行かないと思うしね。

 

今の若い人の持っている閉塞感って、つまるところ、社会全体からこのようにやんわりと「無責任な善意をもって生き方を強制される」ことから生まれてる側面は少なくないんじゃないかと思うんですけどね。子育て界隈の謎の閉塞感を見たら分かるじゃん*3

 

まぁ、上のブコメをしたためた人も、「売り言葉に買い言葉」だったんじゃないかと思ったりもするんですけど。

つまり、人生の選択において「コストパフォーマンス」なんてぺらっぺらの言葉を使うから、逆ギレする人が出てきて、そういうものに☆が集まったりするんだろうと思います。いやな同調圧力

 

で、人生にコストパフォーマンスって、本当にあるんでしょうか?

例えば。

理系の大学に進学した方が、文系より多少学費は高いけど研究所などの良い就職先に恵まれる。将来的なコストパフォーマンスは理系の方が高い。

これ、よく見かける言い方ですけど、私にはさっぱり分からない。もちろんその分野の勉強がしたい人ならいいんだけど、本当のところの興味がなければ、その分野のピラミッドの頂点にたどり着くのは不可能だと感じるからです。
そして頂点か、頂点に限りなく近い場所に行けないのなら、コストパフォーマンスはどんどん低下していく。

私は、高校の授業でもひーひー言ってる理科分野を進学してもやりとおす自信は全くなかったし、行けそうな大学のシラバスを見ても、文系では比較的潰しが聞くと言われている法学部や経済学部の授業内容にひとつも魅力を感じられなかったんですよ。高校2年の時。
なので、友人(以前、不機嫌顔の自由 - 長い感想で言及した、猪突猛進型友人の猪子)からは「あんた馬鹿じゃないの?就職どうするの?知らないわよ!!」とか罵倒を投げつけられながら文学部に進学しました。
結局私は、友人曰く「何の役にも立たない」勉強を4年間みっちりやって笑、就職は厳しいかなー*4とか思っていたらとても運のいいことに拾ってくれた会社があって、文章を書いたり色んな企画をでっち上げたり色んな分析をしてオッサンに煙たがられたりする仕事についています。大して稼げる仕事でもないけれどお呼びのかかる座敷もあることだし、それなりには役に立ってるんじゃないかと思いたいです。そしてそれは、好きなことをずっとやり続けたからだと思うんですよね。

 

コスパが本当に最重要な指標だとしたら、この世の中のほとんどのものが消滅します。

白米と納豆だけのご飯を延々と食べ続けていれば充分だし、趣味なんてそれこそ「何の役にも立たない」。洋服だってみんな同じでいいんじゃない?毎日同じ服を着ていった方がコスパいいよ。
結局人間、案外コストパフォーマンス以外のことが選択の基準になっているものです。選択とはすなわち無駄なのです。いろどりのある素晴らしい人生。

 

言葉は悪いけど、子供って「私の人生」を彩るための最大のイベントごとだと思うよ。ごく私的な、人生についての選択の結果。
子供を産んで育てるということだけを「社会的」に特別なものだと考えすぎてるから、つい、コストパフォーマンスと言いたくなったり、俺の子供はお前の老後のためじゃない、とか思ってしまうのかもしれないけれど。

 

「親孝行な子供や孫に囲まれた豊かで素晴らしい老後」というのを、「趣味が嵩じて仕事になっちゃった人」ぐらいに捉えれば、別に何の問題もないと思う。いや問題あるかな。分からないけど笑

 

9/19

id:QJV97FCr さまより、本当に読んだのかしら…?というブコメをいただいたので追記。

両極端でしか考えていないわけでなく、恐らくid:QJV97FCr さんは「ご自身の現実の老後」を思い浮かべてのブコメであり、私は「これから子供を持つか考えている人」または「生まれた子供」を主語にしたらどう考えられるか、を述べているので、すれ違っているのだと思います。

 

もちろん、色々な考え方があっていいとは思いますが、「どう考えても詰んでる」現在の日本の社会保障制度下で、家族内での介護「ありき」で、そこから話を始めてしまうと、良いことは何もないと思っています。
子供を産むのに躊躇する理由のひとつには、もちろん金銭的な問題があるわけですが、だからといって「我が子が将来面倒を見てくれるんだから、産めばいいじゃない」とうっかり思ってしまうことは、昭和の時代に逆戻りするだけです。

上でも述べましたが、少子化が改善されないと未来がないのは確かですが、一方で、じゃあ子供を持とうかという動機が「俺らの年金を何とかしてもらうために」「私たちの老後の面倒をこの子が見てくれるはずだから」というものであるのは、生まれてくる子供にとっては「幸せ」ではないように思います。

 

現実にはこれから生まれてくる子供にはアホのように国の借金をあらかじめ背負わされているわけですし、一般的な家庭の場合、親の最期の面倒は子供が見るのが当たり前です。

私も一応親や祖父母の介護を経験しましたし、祖母や両親については物理的・金銭的にコミットもしてきました*5ので、大変さは理解しているつもりですし、現実の介護をどうするかについてイチかゼロで極端な話をしているつもりは、ひとつもありません。
祖父が死んだのは昭和の時代なので配偶者である祖母と未婚を通した叔母が、痴呆で徘徊行動をする祖父の面倒を主に見ていましたが、それが彼女たちにとって幸せだったとは思いませんし、病気したことをきっかけに老人病院(という言い方は悪いけども)に入院してそこで最期の1年間を過ごすことができたのは、祖父にとっても祖母や叔母や私たち他の家族にとっても良かったと思います。
祖母と両親の面倒は、それこそ日々状況変化する中でどのように家族でシフト組むかお金どうする誰か人を頼まなきゃ介護保険の申請は…と複数のチャネルがあって、本当にありがたい世の中になったと思いましたし、家族の中で完結しないでやれるありがたさと、長生きして欲しいのに長生きすればするほどお金に困る「あるある」なジレンマにも陥りましたし。
このように、「現実の介護」ではイチかゼロか、極端な話なんて関係なく、その時やれることに追っついてやってくしかない、だけのことです。人の死に方ってお決まりのルートがあるわけではなく、本人の希望も家族の希望も関係なく事態が変わるので、選ぶひまも考えて行動する余裕もなかったですし。後に残るのは請求書と後悔の山と遠い親戚のイヤらしい詮索くらいで笑。

 

それでも、これから子供を作ろうという動機に「自分の将来」を託すのは、イチかゼロできっぱりはっきりゼロ。子供の未来の選択肢に「自分の老後の面倒」という項目を入れる人は、たとえそれが、子供の未来に望むことの総数のうち8万分の1ぐらいであったとしても、理解できません。

人間が子供を産んだら、「産んだ子供の未来」が明るいものであること、子供が自分の未来を自分で作って行ける力があることを願うのが、真っ当であり、親の未来の担保を期待するのは間違っていると私は考えます。

一方で、子供の側から「親の面倒を看取らねば」と思うことも、ごく自然なことだとも思いますけども、それが「あらかじめ生まれた時から製造者(親)によって願われている」こととは、誰がどのように看取るかという結果は同じかもしれないですけど過程が全く違ってくると思います。

 

なので、そこについてイチかゼロでしかものを言わない馬鹿だ、と私について断罪されるのであれば、「馬鹿に馬鹿にされても痛くもかゆくもねーだ」で終わりです。例えは極端ですが、介護の人手が足りないから移民を検討しようと言っているのと、構造自体は一緒だからです。まぁ財界は今絶賛それを狙っているわけですけども…。

 

子供を産み育てるにあたって、製造者(親)が常に受益者となる方法を取るのは、著しくフェアネスがない状態だと思います。「親→子」の受益関係については、少し前に盛り上がった、異性の我が子と風呂に入り続けたいキモイ話に関連したエントリ「まだ知らない」と「もう知っている」の間に - 長い感想でも触れました。新しくこの世に生れてきた人に、あらかじめ鎖を付けて生きていかせたいなら、そうなさればよいとおもいますが、そのように育てられた子供が本当に幸せだろうか。わざわざ痛い思いして産んで山ほどお金かけて育てて、育った子供が生まれた瞬間から「親の鎖」付きで、それで本当にいいんだろうか。その子供は生きている幸せを感じることができるんだろうか。生み出したものが幸せではないと感じていたら、産んだものはどう思う?

少子化を食い止める目的」や「社会保障制度の安定が目的」「自分の老後の面倒を見てくれる目的」で、人は、本当に子供を産んで育てたいと、考えるんでしょうか?

少なくとも、私はそういう目的で「よし子供を作ろう」とは思えません。

 

「親(や前世代)の鎖」を、子供の足に付けるか付けないか、という、イチかゼロで言うなら私はゼロを選ぶという性質の話をしているので「両極端でしか捉えられない馬鹿」だと言われても、まぁそういう性質の話をたまたま今してるだけだからなぁ…と返すしかありません。鎖の重さが1グラムなら良いだろうが、とか、3キロの親の鎖と5キロの社会保障の鎖に分散すれば、とかそういうことではなく、「せめて親ぐらいは、産んだものに何であれ鎖を付けて育てたくない」というだけのことです。

 

長くなってしまいましたが、付け加えるなら、人が死ぬ過程において、家族はもちろん、家族以外の人間の助けがどれだけ必要かというのは、年寄りを一通り見送って本当にしみじみと理解しましたし、未来の「自分の老後」のことを考えると、正直暗い想像しかできないのが困りますね…。

それでも、というか、だからこそ、子供を産む理由はその暗い想像の解決を丸投げするためであってほしくないなぁ。

*1:それともお嫁さんにやってもらう腹積もりなのかな…

*2:もっと哲学的に言えば、今生きていることだって「誰かの世話」になってるし「誰かの迷惑」」にもなっている。これは誰だってそうです。自分だけや自分の家族だけで完結できると考えてるならおこがましすぎる。

*3:子育ての悩みシェアのふりしたご自慢合戦が繰り広げられてしませんか。虐待が増えている一方で、虐待へのハードルが謎の高まりを見せていたり。子供だけで近所のコンビニに行かせてるのよ!と言ってる人に会ったことあって衝撃を受けたんですけど

*4:何しろひどい氷河期でもあったし、何の役にも立たない文学部に行った上に大した労働意欲も持ってなかったったので

*5:しそのことで親戚と大げんかしたり仕事を変わったりしました