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長い感想

100文字では足りなかった時に

逢沢りくを読みながら、自虐の境界線を確かめる

長すぎるブクマ的なもの

このまとめ。

togetter.com

いけすかねぇなぁ、と思いながら、私はなぜ、この漫画家さん?の発言がいけすかないと感じたのかを考えていたら、このマンガのこと思いだしたので。 

逢沢りく 上  逢沢りく 下

 

 

猫村さんでおなじみのほしよりこさんの漫画。

シュッとしてて、そして病的なまでに表層的な『東京的生活』をおくる逢沢家の美しい娘りくが、色々あってべったべたのド関西の親戚に預けられて、「病的に東京的」なお母さんとの関係を見つめ直したりする、とても可愛らしくて繊細で残酷なお話だった。好き。

 

で、この漫画で表されている「べったべたのド関西」のコミュニケーションと、件の漫画家?さんの「関西人の自虐コミュニケーション」って、ぜんぜん違うんですよね。

そもそも、発端のツイート

このマンガのようなもの、自虐じゃないようにも受けとめられる。
これだけじゃ、からかわれている人が自分からネタフリしていたのかどうかが分からないから。パッとこのコマだけ見たら、嫌がってる人を乱暴にイジっているようにも見えないことはない。
ツッコまれてる子のキャラクターが、そのコミュニティの中では「普段から俺ってそういうタイプやねんか」と浸透してる土壌があるなら、「自虐ネタは普通」で問題ないんだけど、それがこの絵からきちんと伝わってないから、否定的な見方をする人が一定数以上出てきてるんだろうと思う。説明不足というか力不足というか。まぁツイッターでつぶやいた程度のものに力不足ってのも大げさで申し訳ない気もするが、「関西では通用するのに東京ではあかんねなー」みたいに言われると、東京もんとしては、なんかまぁいいけどふぅんって思うし、大阪ハーフ*1としても、はぁ?あほちゃう?なに主語でっかくしてんねん勝手にと、インチキな関西弁で思う。

 

 

街中で人に囲まれて暮らす人々は、コミュニケーションの距離感と、コミュニケーションの輪の範囲に必然的に敏感になりやすいと思う。

都会って、本当に色んな種類の人が、そして大勢住んでいる。住んでる期間も家族構成も、人種も目的も本当に色々。こんな色々な人が狭いところでひしめいて暮らしていくには、「隣人を恐くないと思う程度には近づきつつ、かつ、触られたくないかもしれないところには踏み込まないコミュニケーション」が必要になる。入りこみすぎると色々角が立つし、寝た子を起こす可能性だってあるし。

一方で、コミュニケーションの「輪の内側」であれば、キツいツッコミの他虐イジリだってアリになる。ただし、そのコミュニケーションの輪の中に共通認識があることが確認できることが条件。この人はこのぐらい言ってもOK、むしろオイシイと思うタイプ、ということが「輪の内側」で共有できてれば、それは「キツイけど面白い冗談」になる*2。ヨロッパの人やアメリカ国の人って、酔っ払うと結構きわどい人種差別ジョークを言うたりするけど、それは「輪の内側」の共通認識があって初めて笑えるわけで、たまに本気で起こってガチで喧嘩になったりすることだってある。

実は、こうなるともう都会かどうかもあんま関係なくて、伝わる範囲をちゃんと観測してコミュニケーションがとれるかどうか、という能力の話になるんだけど。

 

で、逢沢りくに戻りますが。
りくが預けられる大阪の親戚宅の登場人物、おばさん、おじさん、息子さん、娘さん、娘さんの子とか全員、揃いも揃ってコミュニケーションスキルが絶妙なのだ。


「病的に東京的」なお母さんとの関係性が理由なのか分からないが「悲しくなくても自在に泣けるんだけど、悲しいってどういうことかもよく分からない。でもどうでもいいわ」といった風にヒネているりくの心が、お話の狂言回しの役割でもある娘さんの子供「時ちゃん」とりくとの関係を中心に、ちょっとしたエピソードや超くだらない関西トーク(褒めてます)なんかを丁寧に積み重ねながら、少しずつ動いていく様子が描かれていくのです。猫村さんの絵柄そのままの鉛筆スケッチの線なんだけど、りくちゃんの顔がだんだんとムスっとしてくる(取り繕えなくなってくる)様子が絵から伝わってきたりして、いいなぁと思うですよ。

そういう「割と繊細にコントロールされたコミュニケーション」なら、私の大阪の親戚からも頻繁に感じるし、私の東京の親戚や友人や、地方から東京に出てきたことで知り合った友人や知人からだって、感じる人からは感じる。そして確かにこの繊細なコミュニケーション・コントロールは「関西特有」の面白さだなぁと思ったりはする。何だかんだで東京って、そのうち出てくからなぁ、という雑さ荒さがあるからね笑*3

 

他虐ツッコミは、カッコでくくった中での共通認識がある時でしか通用しない。それにツイッターSNSの中でも1、2を争う「色んな人が見るツール」なわけで。
せっかく漫画家をやってて、ツイッターでみんなに見てもらうかなーってやってんなら、その共通認識を、絵なり言葉なりエピソードなりで表現してこそなのにねぇって、そんな風に思いました。

 

というわけで、逢沢りく読み返しながら寝ます。

 

*1:父は阿倍野民、親戚の半分はコッテコテの大阪人ばかりなのですが、住んだことはない。遊びに行くたびに「吉本新喜劇みたい…」「へえごめんしておくれやっしゃー」とか、いとこや甥姪にやってもらったりする楽しみ。ノリが良いというか芸達者なのは確かだw

*2:TVで見かけるお笑い芸人のイジメめいたイジリとか、ネットスラングで言うところのグンマーとか、そういうのは、まぁそれが共有されてる人にとっては十分面白い・オイシイネタになりうる。ただし見ている人全てに共通認識を作り出せているわけではないので、不快に思う人や批判を表す人も多いわけで

*3:あと、関西はやっぱり街の歴史地層が古い分、より繊細さが要求されるのかなぁと思ったり