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長い感想

100文字では足りなかった時に

超文系脳だけど、教え方によっては数学や物理好きになれるよね

長すぎるブクマ的なもの

なぜ、はてなのサービスを使っているかというと、普段の自分では引っかからない面白い記事が見つけやすいのと、ブコメが愉快だからなんですけど。
ブコメ読むの楽しい。賢いなーとかとんちだなーとか。

 

で、これね、これ。すごく面白いブコメ群。

b.hatena.ne.jp

 

私は、小学校の時から大学受験が終わるまで、算数・数学の先生から常に「居残り特訓」を要求され続けてきた*1ぐらいの自他ともに認める超文系脳なのだけれど、実は数学は結構好きな教科でもあったりします。私は嫌いじゃないのにさんすうはこっちを振り向いてくれないという片思いの関係。

で、理系人とお話をしていると、ほえーかっこいー!と思う時があるんですよ。

 

特に、ちょっと複雑な計算を簡単に暗算するための数式の読み替え、みたいなのが大好物で、そういうのがパッと出てくる人に、私も次に人間に生まれ変われるのならなりたい*2。そういう「頭を使うゲーム的娯楽要素」って、特に小学生の「さんすう」から一番多く味わえる、勉強の愉しみなのにね、と思うのです。それが、ある種の教授方法にとっては「小賢しい」と見られてしまう可能性があるとしたなら、ちょっと悲しいよねぇ。

せめて『君、小賢しいけど100点!』とか言ってあげればいいのに笑。
そういうのが得意な子供にとっては勲章…にはならないか、傷ついたらかわいそうだしな…むずかしいな。

 

とはいえ、「式作成上の論理性は重要だろう」派の気持ちもすごく良く分かります。この辺の差異が分からないと、中二ぐらいからまじでヤバいだろうとは思う。
私は国語や社会が得意で算数は苦手だったのですが、それは、せっかちで習熟のためのトレーニングが嫌いなくせに上記のような機転も効かないため、計算間違いが異常に多かったからで、応用問題や文章題でむしろ点を稼いでいたタイプでした。

でも、私は、自分が計算がダメだからかもしれないけど、そういう論理の大切さは国語とかでやるから、算数では計算力の習熟とかひらめきとかを教えた方がいいかなーと思ったりもします。基礎能力って大事よ。ドリブル、パス、止めて蹴る大事ってヤットも言ってたよ。唐突にサッカー例えになったけども今。

 

数式を作るという行為って、論理の理解力と創造力が要るから、子供の時から「こういう約束で式を作りなさい」と、考えるための方法じゃなくて約束を強要することになっちゃってたとしたら、正しく知的な活動を教えることはできないよなぁとか思ったりもします。

それに、「計算問題を間違えずに早く解く技術」の訓練だって、まだ脳の成長途上にある小学校低学年の子供にとってはむしろ、論理構築力の育成よりもずっと大切なんじゃないかなぁとか。

 

論理構築なんかは、国語でいいじゃないですか。それから社会学習とかの授業でも学べる。それを、ある時に算数でも応用できるようになればいいことだものねぇ。
しかし、こうやって考えると、学校の教育課程てほんと綿密にできてんなー。誰が考えたんだろう。ノーベル教科書賞を差し上げたい。

*1:小学校の時は分数の概念が分からないまま6年生になっていたため、あわてた担任の先生が放課後集中特訓。中学の時は塾で私だけ別室で集中的に数学の特訓授業、高校の時も予備校で私だけ数学のカリキュラムマシマシなどの実績あり。これだけやっても苦手ってすごい

*2:あと、ダジャレが常に湧き出す人にも生まれ変わってみたい。頭の回転や記憶力が高い人たち。私は瞬発力はあるけどそれだけなのよなー