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長い感想

100文字では足りなかった時に

「解釈」における愛の含有量と、具体的な方策の話

その他スポーツ 長すぎるブクマ的なもの

ねーほんと、やってたかクスリをなぁ…。しょーもない。ほんとしょーもない。がっかりだ。

清原自身が招いたことで自分で責任取るしかない。清原が悪い。というのは大前提で。

 

「清原がなぜ」という問いや、それに関して彼の人生を解釈することは、彼が現役時代や彼が甲子園で怪物でありアイドルであった頃を見ていて、野球が好きな人ならなおさら、考えちゃうようなものだよなぁ、とは思うけれど。

彼がこのような人生を送ってしまっていることの理由って、本当のところはすごく色々たくさんの分岐点があって、その理由は○○であるとシンプルに解釈ができるのであれば、落とし穴にハマって戻ってこられなくなることはなかったんじゃないかなぁ。

微妙に抽象的な言い方になってしまったけれど、まぁこういうことを考えていて、こちらのブログを拝見して「読後感悪い…」と、感じの悪いブコメを付けたわけです。生意気ですみません。

清原和博さんと「男らしさ」という呪縛 - いつか電池がきれるまで

描いておられるような男性性への呪縛が清原自身を縛り苦しめた側面も、すごくあるだろうな大きなファクターだろうなとは思うんですが、それだけじゃないよなとも思うので、あんまり簡単に紐付けしちゃうのは、なんか清原かわいそうに思えてしまった。

 

野球の能力だけじゃなくてタレント性(≒大衆の求める姿を演じること)でもメシ食ってきたという自負と習い性がそうさせたのかもしれないし、元々の性格がそうさせたのかもしれないし、周りの人間がマッチョイズム(一昔前の野球人のイメージな)にどっぷり浸かった人たちばかりだったのかも、とも思う。お金が何かを狂わせたこともあったかもしれないし、プロ野球がまだ「特別なスポーツ」だったころの最期のスター選手だったというような面もあるかもしれない。

もっと言えば、18の春に信じていた色々から裏切られたことも影響したかもしれないし、衰えていく肉体と反比例して男性性を過剰に意識したかもしれない。
今までだって、少なくないスポーツ選手が自分が現役で居られなくなった後のメンタルコントロールに苦しんでいて、清原も恐らく例外ではいられずむしろ積極的に、そっち違うだろうという方向にもがいていた様子だったしね。

要するに、単純に「男性性への希求とひずみ」ってことだけじゃないんだろうと思う。それは清原に限らずどんな人間だって、そんな単純じゃないでしょう、ダメだって分かっているのに禁止薬物にハマる理由って。簡単に解釈の紐付けをするのは、なんかやっぱりちょっと愛がないかなぁ、と思ったりするわけです。清原への愛というよりも、やっぱり身体ひとつで私たちを楽しませてくれるスポーツ選手と言うものへの愛というか…。うーんまだイマイチちゃんと言えないが。

 

それで、まぁ、そういうことよりも、私が気になるのはもうちょっと具体的に「なんとかならんかったんかのう…」ということで。

清原は聞く耳が持てなかったのか、それとも、苦言を耳に入れてくれる信頼できる人が身の回りに居なかったのだろうかとか、そういうことだったりします。

決定的な分岐点(クスリに手を出した時期)がいつなのかはまだ分かりませんが、その前にご家族や友人でも何ともできなかったんだろうなぁと思うと、これはとても切なくて悲しくてやるせない気持ちになる。離婚もされてるしね。色々あったんだろうなと想像される。

そのように、まことに手前勝手に清原の身の回りの人の気持ちになってやるせなさを想像すると、その次に浮かぶのは「お前、誰からクスリを手に入れたんだ」ということだったりもするわけです。やくざだろう順当に考えたら。
やくざと付き合いがあったんだろうか。うーん。いつから?声掛けたんだろうか掛けられたんだろうか、とか、そういうことがとても気になる。

 

気になるし、やくざとの付き合いだったら、外部から抑止する手立てが取れるでしょう。いや100%抑止できるかは分からないけれど…。

プロ野球の世界は、ほんの半年前にも野球賭博の事件を起こしている。プロ野球界が黒い影を払しょくすべく色々がんばっているのは理解しているつもりではあるけれど、それでもまだ、現役選手を野球賭博に誘うやくざや、引退した選手に覚せい剤を与えるやくざが居るんだろうと予想できてしまうわけで。

犯罪に手を染めてしまった元選手の内面(マッチョイズム)について、外側にいる私たちが変えさせるのは、とても難易度が高いことだけど、やくざをなるべく近づけないように、ということなら、努力のし甲斐があることだよなぁと思うわけですよ。

 

あともう一つ、「若い時に過剰にちやほやされたスポーツ選手問題」と言うのもあるんじゃないかと思うわけです。桑田清原のKKコンビは甲子園の伝説だったわけですけど、二人ともプロ選手としての第一の人生は、トータルで見たら「甲子園の伝説コンビ」としてはいささか寂しいものでもあったし、第二の人生も二人とも紆余曲折だったりもします。たまたまかもしれないけれど。若いうちにかむせてしまった大きすぎる冠には見合わないなぁ…という勝手すぎる目線が、彼らを苦しめたこともあったのかもしれないとか、思ったりもするわけです。

スポーツ新聞やそれを読んで喜ぶ私たちが高校生にかむせた過剰な形容詞が、彼らのその後の人生に影響を与えたかもしれないし、与えなかったかもしれない(元々の性格だったかもしれないしな)し、分かんないけどさ。
でも、自分のことに引き当てて考えたら、17、8でああいう騒がれ方したら違う人間になってたろうなぁとは思うわけです。

話が変わるようで変わりませんが、オシム爺さんがしょっちゅう言ってたのは、メディアは若い選手をちやほや褒めそやしすぎる、という小言でした。彼らはまだ未熟で天狗になってしまったら潰れてしまうかもしれない、というようなことだと思う。

清原と同じように若い頃から褒めそやされてちやほやされても、クスリに手を出さずにまっとうに第二の人生を充実させている人の方が多いとは思うんだけど、オシム爺さんの言葉を引き合いに出したついでにサッカー界のことを考えれば、ユース年代でちやほやと「天才」とか「和製○○」とか素晴らしい冠を付けられた選手たちが、その後の選手生活で鳴かず飛ばずになってるなんての、枚挙にいとまがないでしょう。

これもまぁ、子供の頃からずっとヒーローで居続けてる選手もいるわけなので一概には言えない話ではあるけれど。

この「若い選手ちやほやしすぎ問題」も、清原の心を腑分けしてマッチョイズムを取り除いて楽にしてやる、という作業よりは、ずっと穏当に変えていけるモノじゃないかなぁと思ったりもするわけです。

 

後、プロ野球に関して言えば、セカンドキャリア教育みたいなのってどうなってるんだろうなぁとは思ったりします。Jリーグだと、まぁばっちり機能しているとは言い難いけれど、いちおうセカンドキャリアアドバイスのようなことをリーグとして取り組んでいたりしますが、プロ野球機構は何か取組みとかしてるんだろうか。

 

と思ってぐぐったら、色々取組みはしているもよう。

nextfield.ecareer.ne.jp

 

NPBからのお知らせ | NPB.jp 日本野球機構

上記リンク中に「2015年 現役若手プロ野球選手「セカンドキャリア」に関するアンケート」という項目がある。セカンドキャリアへの不安要素は収入面なんかが約5割と順当であるが、8.7%の人が「やりがいの喪失」と上げている様子。こういう不安へのメンタル支援もしてあげられる体制も、考えた方がいいのかもなぁなんて思ったり。選手会とかでやれるといいのかな…*1

 

現役時代、特に西武時代はあんなにすごい華のあるバッターだった人がこんなことになってしまったからには、せめて、外部環境で整えられるものが少しでも増えるといいなーと思ったりします。

*1:そういえばプロ野球Jリーグも一応労働組合があるわけだけど、芸能界はないんだなってSMAP暗黒会見を思い出した。私は割とこういうことをずっとネチネチとおぼえてい続ける