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長い感想

100文字では足りなかった時に

Jリーグありがとう、と思い出す話

Jリーグ サッカー

今日は東日本大震災から5年たった日だということで、私は何を考えていたかというと、来週の仕事のダンドリやら、3月らしく送別会の準備やら、日曜の家族の法事の諸々の連絡をどうしようとか、そういう日常を送っていたわけですが、一方で思い出すのは、あの年は、Jリーグが開幕から2試合目で、その後、約1カ月の休止を余儀なくされた年だということです。

 

私は、地震のあった当日は東京にいたので、恐い思いは多少はしたし、連絡が付かないまま電車が止まったまま旅先から帰ってこられなくなった家族がいたり、ほうほうの体で自宅に帰ったら家の中がしっちゃかめっちゃかになってたりとか、そういう小さな問題はたくさんあったものの、総じて、命や財産に大きく問題が起きたわけでもなく、一方でただただ余震と、翌日の夜には分かった原発事故の状況の分からなさに恐くてどうしたもんかねなんて思いながら眠れないような、何だかんだで手巻きのラジオを何十回かぐるぐるしてAMラジオにチャンネルを合わせながら寝ればそこそこ寝ていたような、まぁそんなしまらない感じでおりました。

 

一方で、月曜日になって会社に行ってみたら*1、クライアントさんから矢のように電話が入っていて、そのまま通常通り、いや通常以上に仕事の山と格闘することになりました。その後1年以上は何だかんだで大変忙しく*2過ごすことになるんですが、当時は先がどうなるかもまったく分からなかったので、PlanA、PlanB、A'、B'、PlanC、休止した場合など、色んな場合を想定しなきゃいけないし、被災地以外についても、おもに流通などの面で地震の影響があちこちに出ていましたので日常生活にもすり減る体験も少なくなく、余震もあったし、個人的に身内の問題もあったしで、どうも地に足が付かない日々*3でした。

 

夜中に帰宅して、ひっそりとちょっとだけ、とスカパーにチャンネルを合わせて*4、海外で頑張っているサッカー選手の雄姿を見つめることはありましたが、それも、嬉しい気持ちはもちろんありましたが*5、どこかその喜びも、上滑りするような気持も、今思えば有ったんだろうと思います。

Jリーグは、前週に2011シーズンの第1節を行っていましたが、当然といえば当然ですが、それ以降は試合がありませんでした。でも、正直を言えば、その頃の私は、Jリーグをやっていないことすら、忘れてしまっていました。だってさ、余震恐いし、原発事故のことだって、あの頃は情報にノイズが多すぎて冷静な情報がなかなか掴みづらかったし、分からないことが多ければ多いほど不安が増しますし。

 

そうだ、Jリーグ、と思いだしたのは、3月末に行われた復興支援マッチでした。そういう試合をやるよという報道を見かけた時にも、ああ、そうかJリーグ、サッカーが、と思いましたが、当日(確か火曜日だった記憶)は、やっぱり仕事が立て込んでいて帰れそうになかったものを、死ぬ気で片づけて、今日だけは家に帰らせてくださいとクライアントさん*6にお願いをし、それでも試合開始には間に合わないかとタクシーをフンパツして帰宅して、家に付いてTV付けて試合を見て、まぁ皆さんご存じの三浦カズの奇跡みたいな森脇のお膳立てのようなゴールもあったりして笑、それで、ああ、サッカーあって本当に良かった、Jリーグ見たいと、本当に思い出したのです。

 

残念ながら仕事忙しくて死にそう、という状況は、翌年の春ぐらいまで何だかんだで続いてしまったので、Jリーグを実際に見に行った回数は2011年はそれほど多くはなかったんです。でも、4月にリーグ再開した時は、家でスカパーにくぎ付けになって、ああ再開したんだ、何か分からんけどこれで大丈夫なんとかやっていける、と思ったんですね。

 

私の気持ちとか置かれた境遇なんて本当にささいな、何の苦労や悲しみもないようなものではあるのですが、そんな程度の目にしかあってない私ですら、あの地震原発事故は、心を極限まですり減らすものだったんだと思います。

それでも、サッカーがあって、Jリーグが再開してくれたおかげで、これが一段落したら日産スタジアムに行くんだ、この出張であのタフな交渉が終わったら万博いってJリーグ見るんだ、そういう気持ちで、2011年を乗り切ったんです、私は。

 

2011年は、仕事では仙台に何度も行った年でもありますが、ユアスタにサッカーを見に行くことは残念ですができませんでした。でもKスタにはなんとか行けました。道中がたいへんだったけど…。

今では仕事やボランティアで知り合った方に会って一緒に美味しいものを食べるという、仙台アウェイに行く口実が増えました笑。ただサッカー見に行くだけじゃなくて*7、楽しみは多い方が良いに決まってる。

 

Jリーグが無かったら、サッカーがなかったら、私はあの年、タフでハードな毎日を乗り越えることは出来なかったと思います。ほんと、良かったよねサッカーあってさ。

 

 

*1:普通に歩いて行ける場所に会社があるので、家にいたってしょうがないしなと思い出社しました

*2:震災復興に関わるお仕事の末端に携わることになったり、その縁でボランティアに携わることになったり、貴重で言葉には言いつくせない胸がいっぱいになる出来事がたくさんありました

*3:実際にいつも以上に仕事が立て込んで、毎日帰宅が夜中や明け方、土日出勤も当然という状況になっていました

*4:当時は節電とか言われていてTVをつけるのもちょっとためらわれるようなところがありました。我が家の2011年の平均の電気代3000円ぐらいだった記憶があります。おかげさまで今でも3000円台をキープしとるよ

*5:あの年はうっちーと長友のCL日本人対決が熱かった…

*6:クライアントさんは私以上に寝ずに仕事をしていました。頭が下がります。

*7:我が軍は仙台には戦績があまり良くないので、お楽しみは多いほど足が向きやすいですw