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長い感想

100文字では足りなかった時に

「私の一票」は、「私が老成するための訓練」である

あんまり柄じゃないんだけど、気持ちはすごくよく分かるし、コパアメリカもEUROも終わってヒマなので。

こちらのブログとか

「投票しないなら政治に文句言うな」はおかしい - Letter from Kyoto

こちらのブログとか。

僕の一票で何かが変わるとは到底思えないので選挙には行かなかった | WhiteStyle

 

気持ちは分かるんですよね、私も若い頃そんなふうに感じたこともある、勇気のないだらしないタイプなので。

 

理念的なことや政治的なことや社会的なことを全部脇にのけておいて、年寄りからひとつ、自分自身のために実用的なことを言うとすれば、「投票をして、そのあと色んな気持ちになる」ことと、それらの気持ちと折り合いをつけていくためのスキルや耐性は、何度も投票しないと身に付かないよ、と言いたい。

そうやって「私の一票なんて何の役に立つんだろう」とか厭世的な気持ちをどんどん背負い込んでそれでもなお投票する、というのは、人間が老成していくためには割と役に立つことかなと思っています。自分なんて取るに足りないもんでしかない、と理解することと、それでも生きていくしかないんだよなーと気持ちのチューニングをする訓練というか。

 

身もふたもないことを言えば、上記のお二人は、自分の1票を、すごく価値のある、正義の矢のように思っているのかなーと思ったりします。「俺の1票」を買いかぶり過ぎかなぁというか。
民主主義下の選挙って、総理大臣も私も1票は1票としてしかカウントしない、ある種すごくフェアな仕組みです。逆に「正義の重みをもった、世界を動かす1票」なんてものがあったら、独裁政治になっちゃう。より多くの、有象無象の大した見識もない1票が多いということは、ある意味民主主義のシステム自体は健全であるということでもある。変な話ではありますし、だからこそ民主主義は衆愚化を招きやすいという欠点が言われるわけですが。
同じように、1票の内容を、どういう意図で投票したか、きちんと学んだ結果の投票行動かどうかとかを「正しい、正しくない」で判断する権利は、誰にもないわけです。それも独裁的でしょ。

 

俺の1票を、どう考えるか、ということですが。

例えば、EU離脱へ101票、残留に100票入ったと単純化するとしますよね。そうすると、たったの1票が、世界中がひっくり返るかもしれない重大な判断の原因かのように思ってしまいます。
この時、離脱に票を入れた101人全てが「俺の1票のせいで…」と思える権利を有するわけです。「俺の1票」大層なものだったと思う人が大勢いる、ワンオブゼムでしかありません。
一方で、そのように責任が分散されるから、色んな全然違う考えを持った大勢の人が、決まったことを「しょうがねーなー」と言いながら納得せざるを得なくなるような側面もあると思います。実際には101人が離脱に投票した理由には、101通りあるし、逆に残留に投票した人にも個別に100通りの理由があるんだと思う。でもざくっとスパッと、どこかで妥協するためのものが投票です。
別に大層なもんじゃないんですよ。妥協するためのものでしかない。

だから、何度も実際に繰り返し投票体験して、その手ごたえの無さやがっかり感や厭世感なんかに慣れていくのは、社会への妥協力を高めて自分と異なるものへの許容力を増やすことの訓練になると思います。社会と自分との間に妥協を多く持つのは、とても大切なことです。寛容は常に妥協とセット販売。ひとりぼっちで生きてるわけじゃないからしょうがない。

で、どうせ俺の1票なんて意味がない、と思って投票しなかった、ということは、「妥協」をする勇気を持たなかった、もしくは「妥協であり寛容」を発揮する気がなかった、という風にも、見方によっては見えるわけです。

他人に対して妥協する余地もないけど、文句だけ言うのは、うーん、やっぱりこう、子供っぽいなーと思っちゃいますね。高踏的でいたいのかもしれないけど、単に我儘なだけとも言える。

そういえば、妥協とか諦めぽいことばかり言っていますが、勝ちたかったら、まぁ参戦するしかないですね。立候補。そして立候補したら最後、妥協に次ぐ妥協が待っているわけですがw。現実を動かしてくってそういうことだから、しょうがないね。

 

まぁ、こういうのね、なかなか、人が、それもトウヘンボクの私ごときが説教がましく言ったところでうっとおしいだけだろうとは思うんだけど。言いたくなっちゃったからしょうがない。すみませんね。

 

 

ここからは少し私的に政治的な内容になります。個人的には、参院選の結果、なんだかちょっと、困ったなーという気持ちでいます。何事もなく、それなりの妥協点を見出してマイルドに着地してくれれば…とは思いますが、どうも勝者・自民党側はそうは思っていなさそうで。こわい。

で、「あっという間に政情不安」「あっという間に世相変化」「あっという間に紛争・戦争・テロ」ということは、実際に頻繁に起こってるんですよね。
私も、今の日本がそんな急に変化するとは思いたくはないけれども、絶対大丈夫なんてことはなくて。結界張ってあるわけでもないしさ。

 

上のお二人は、まだ若いから産まれる前かごく小さい頃の出来事でご存じないかもしれませんが、今までそれなりに平穏だったのに、急にそんな残酷なことが起きてしまったの?ということは、WWⅡ以降でも、あちこちに起こってるわけです。

個人的に心に刺さったままの事件でいえば、天安門事件とかね。ユーゴスラビア紛争とか。この辺は80年代後半から90年代に起きたことですね。もっとあると思うんですけど、ちょうど、私が多感なw子供時代に起きた事件・戦争です。どちらも、あっという間に、状況が変わていったんですよ。
天安門事件、結局どのぐらいの学生や運動家が亡くなったか、正確な数は分かってないんじゃなかったかな。wikipedia見ましたが、公式の発表でも319人。まぁそれよりずっと多かろう…。これ、たった1晩で起きたことなんですよね。一昨年の香港での雨傘革命の時に、年寄りたちは天安門のことを思い出して色々な気持ちになったもんです。

 

日本だって、まぁ自国軍の戦車に踏みつぶされるなんてことなんかは、ないだろうとは思いますが、イヤな方向にどんどん向かっていくということが、絶対にありえないとは言い切れないなーと思う。
実際に、WWⅡ前の世相を年表にしてみると、いかに「あれ、半年前は普通な感じだったのにいつの間にかこんな事態に?!」という不思議な気持ちになります。年表にしてみるといいです、びっくりするから。まぁ、WWⅡのことは私も体験してないんで、言いきれないんですが、本を読むと「あれよあれよと言う間に非常時化」していくのが分かります。

私が知識として得ているのは「戦中日記」関連です。

大仏次郎 敗戦日記 大仏次郎

新装版 戦中派不戦日記 (講談社文庫) 山田風太郎

日本人の戦争―作家の日記を読む (文春文庫) ドナルド・キーン

私は戦中日記好きなんです。こんな風にあっという間に世相は変わってしまうし、急に辛い日が来たりするんだなぁ…と思う。こわい。

 

個人的には、私はサッカー好きなので、ユーゴ内戦の本も「人は簡単に変わってしまう」かをおぞましいほどに感じられて、たいへんこわくてよいです。サッカー好きじゃないとあんまりピンとこないかもですが。

オシムの言葉 増補改訂版 (文春文庫) は、かつての日本代表監督、イビチャ・オシム氏の、伝記のようなルポルタージュです。
オシムさんは、ユーゴスラビア人で、ユーゴ内戦の始まり頃からユーゴ崩壊~内戦~NATO空爆が行われ、ユーゴスラビアがバラバラに崩壊してしまった瞬間まで、ユーゴスラビア代表監督を務め続けて、W杯にもEUROにも出場権を獲得した気骨の名将、「最後のユーゴ代表監督」です。代表の試合に呼んだ選手が民族の違いでどんどん険悪になっていってしまう様子や、クラブチーム同士の試合がそのまま民族対立の図式となって痛ましい事件になったり、それでもサッカーの試合やるのかよw と笑ったりで、なんか色んな気持ちになります。

ユーゴ紛争でいえば、有名な映画ですが、アンダーグラウンド 2枚組 [DVD] なんかもありますね。

 

あとは、これも個人的な好みですが、「そういう状況では人は簡単に悪くなれる」という怖さについては、ミラン・クンデラは外せません。クンデラといえば「存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)」ですが、恐怖政治的なものとエヴリ・デイ・オブ・ライフの落差の怖さを体感するには「冗談 (岩波文庫)」がおすすめ。このぐらいのことは、日本でも半年後ぐらいに起きててもおかしくないかもなぁと思ったりします。

 

こわい方向には、行かないでほしいと心底おもいますが。実話ベースの読書でも、こんだけ「こわい方向に簡単に行っちゃう時がある」のが分かる。

どうせなら、投票した上で「あーあ、自分の投票が役に立たなかったせいでこんなことになっちゃった」と思った方が、スッキリしませんかね。投票しなかったら、最悪の事態の理由を誰か人のせいにしなきゃならんもん。そっちのが理不尽で耐えられない。

 

 

7/13 追記

id:kkzy9 ブコメありがとうございます。

「自分が思ったことを好き勝手言うのは自由なんだけど、それ言われても論点が違うとしか言い様がない、どうでもいい内容」

私としては、「あなたが思うところがあって「その行動を取らなかった状態」を、他人が見た時に、別(例えば、単に勇気がないチキン野郎がゴタク並べやがってなど)の感想を抱くことがありますよ、ということも、併せてお伝えしてみたつもりだったんですけどね。「論点が違う」といいながら違うと思う理由を示さない(100文字では難しいとは思いますし、オバハンうっせーよと思ってるだけだとは思いますけども)、ことと、屁理屈ぶっこいて投票しないけど文句は言う、ということには、通底する同じ性質があるようにも、他人(少なくとも私から)は見えます。要するにガキだ。

世の中も、民主主義も、民主主義に含まれる投票という社会への参加の仕方も、まだまだ「途中」です。人間が出来上がって1万年ぐらいは経ってるし社会を形成するようになってからでも5、6千年は経ってるんだけど、まだまだ全然途中。誰にとってもきちんと納得がいくようになるのは無理だし、自分が納得がいくようにしたければ、消極的な行動ではなく、積極的な行動が必要なわけで。

俺様が投票する環境がもうちょっと整ったら投票してやらんでもないが、今はその時期じゃない…というのは、好物が並んでない食卓にぐずる小学校低学年男子のようにも、話しかける勇気がない片思いの女の子に対して、だから俺がコクらないんだよと、こまけえ欠点を一人でぶつぶつ言ってるように、「外からは」見えちゃったりするときも、あるかもねー。

外からどう見られようが関係ないけど、外の仕組みについて文句や口出しはしたい、というのは、まぁ聞いては貰いにくいですよね。まぁ壁に向かってぶつぶつ一人で言うてるんなら好きにすりゃいいけど、ネットで発表してるんだしね。